2024年1月28日の大阪国際女子マラソンで日本新記録を樹立した前田穂南(まえだほなみ)選手。
前田穂南選手は大阪薫英女学院高等学校出身で、大阪国際女子マラソン3位であった松田瑞生選手の後輩に当たります。
前田穂南選手は高校3年間駅伝の補欠選手で「高校時代は記憶から抹消した」というほど辛い時期を過ごされていたようです。
そこで今回は、前田穂南選手の高校時代について、また前田穂南選手の学歴一覧についてお伝えします。
前田穂南の学歴一覧
前田穂南選手は兵庫県尼崎市出身で、1996年7月17日生まれの27歳(2024年1月現在)です。
まずは前田穂南選手の学歴一覧についてご紹介します。
【小学校】尼崎市立園和北小学校
【中学校】尼崎市立園田東中学校
【高校】大阪薫英女学院高等学校
前田穂南選手は小学校、中学校は地元の公立に、高校ではマラソン強豪校である大阪の私立高校・大阪薫英女学院高等学校に進学しています。
高校卒業後は大学には進学せず、岡山市の実業団チームである天満屋へ入社しています。
では前田穂南選手の陸上の原点である小学生時代から見ていきましょう。
尼崎市立園和北小学校
前田穂南選手の出身小学校は、地元尼崎市の公立・尼崎市立園和北小学校です。
前田穂南選手は両親が陸上選手だったわけではなく、小学5年生の頃に陸上教室に通い陸上を始めました。
小さい頃からかけっこが得意だった前田穂南選手はすぐに頭角を現し、6年生の時には校内マラソン大会で優勝しています。
中学進学時には、同じく5年生で始めたミニバスケットボールと陸上のどちらを選ぶか迷っていたようです。
結果的には、6年生の担任だった増田吉英先生に陸上部入部を勧められたことにより、陸上部に所属することを決めました。
その頃から前田穂南選手の素質を見抜いていた担任の先生は、すばらしい先見の明があったようですね。
尼崎市立園田東中学校
前田穂南選手の出身中学校は、地元尼崎市の公立・尼崎市立園田東中学校です。
前田穂南選手は陸上部に所属し、本格的に陸上を始めました。
陸上部では1500mを中心に活躍、中学の自己ベストは3年生のときの4分40秒10でした。(2024年1月現在の女子中学1500mの最速記録は、ドルーリー朱瑛里さんの4分26秒92)
しかし兵庫県大会に出場した経験はありましたが、県内に強豪校も多かったことから近畿大会、全国大会には出場したことがなく、まだまだ無名の選手でした。
中学卒業後は、陸上強豪校へ進学されます。
前田穂南は大阪薫英女学院高等学校出身
前田穂南選手の出身高校は大阪府の私立陸上強豪校・大阪薫英女学院高等学校です。
大阪薫英女学院高校は全国高校駅伝で2回の優勝を果たしており、数々の有名選手を輩出しています。
- 大森菜月選手(2年先輩)
- 松田瑞生選手(1年先輩)
- 加賀山恵奈選手(同期)
- 加賀山実里選手(同期)
- 髙松望ムセンビ選手(1年後輩)
前田穂南選手が高校3年生のときに全国高校駅伝で初優勝していますが、強豪選手が多くいたことから、前田穂南選手は3年間駅伝では補欠登録で一度も走ることができませんでした。
前田穂南選手にとって高校時代は楽しくなく「記憶から抹消した」というほど辛い時期だったよう。
高校時代の安田功監督によると「前田穂南選手は他校ならエース級だった」と実力は認めていたものの、「当時はまだ筋力的に弱い部分があったためレギュラーに一歩届かなかった」と話しています。
そんな中でも前田穂南選手は、
- 高校2年のときに1500mで大阪府大会2位
- 高校3年のときには1500mで大阪府大会新記録で優勝
と記録を残しています。
駅伝のレギュラーやインターハイ出場という夢がありましたが、残念ながら高校時代には叶えられませんでした。
しかし前田穂南選手の母親・麻理さんによると、『試合に出られなかった日も、帰ってきたらまた「次があるから」と走りに行っていた』と、どんな辛くても不貞腐れることはなかったそうです。
このような鋼のメンタルと「マラソンでオリンピックに出て、世界と戦いたい」という想いから、ひたすら練習し走り続けていました。
松田瑞生の1年後輩
大阪国際女子マラソンに共に出場していた松田瑞生選手と前田穂南選手は、大阪薫英女学院高校の1学年違いの先輩と後輩に当たります。
高校当時から松田瑞生選手は駅伝のエースとして活躍し、インターハイにも出場。監督やチームメイトからも厚い信頼を得ていました。
一方、前田穂南選手は3年間補欠で、強豪選手が多くいる中あまり活躍の場を見せることができませんでした。
松田瑞生選手と前田穂南選手は性格も真逆で、
- 松田瑞生選手は有言実行
- 前田穂南選手は不言実行
と、明るくハッキリと宣言し実行するタイプの松田瑞生選手、一方口数は少ないが行動で示すタイプの前田穂南選手と正反対のようです。
現在は、ライバルとして切磋琢磨するお二人。
大阪国際女子マラソンで3位となった松田瑞生選手は「ただただ悔しい」と胸の内を明かしていますが、これからもお互いに活躍される姿が楽しみですね。
卒業後は天満屋へ入社
前田穂南選手は高校卒業後、大学進学と迷ったものの、実業団の天満屋へ入社しました。
天満屋は「マラソンが強くて一番練習がハードなところ」と言われており、4大会連続でマラソンのオリピンク選手を輩出しています。
そこで武冨監督と出会い、前田穂南選手はマラソンの頭角を現しました。
2017年、2度目のマラソンとなる「北海道マラソン」で初優勝。
武冨監督は前田穂南選手の強みについて、「やりきろうとする意志の強さが彼女の武器。走ることに魂がこもっていて、競技への執念がすごい」と陸上競技への真っ直ぐな姿を賞賛しています。
前田穂南選手の学歴を小学生から見てきましたが、高校時代はレギュラーに選ばれず悔しい時期だったにもかかわらず弱音を吐かず、天満屋でようやくその実力を発揮され、現在の日本新記録という素晴らしい結果に繋がったことがわかりました。
前田穂南選手は「陸上が人生のすべて」と語っており、陸上に真摯に向き合う姿に心打たれますね。
前田穂南は大阪薫英女学院高等学校出身|まとめ
今回は、大阪国際女子マラソンで日本新記録を樹立された前田穂南選手の学歴一覧とマラソンの経歴についてお伝えしました。
マラソン強豪校の大阪薫英女学院高校出身ですが、高校時代はレギュラーになれず悔しい日々でしたが、心折れることなく練習に励み続けた前田穂南選手。
東京五輪に引き続きパリ五輪代表に選出されるのか、結果が決まるのは2024年3月10日の「名古屋ウィメンズマラソン」の結果次第となっています。
これからの活躍も応援しています!
前田穂南選手の結婚や彼氏事情、家族についてはこちらをご覧ください。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。